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秋風が心地よく感じられた土曜の休日に、しばらくぶりに横浜元町に出かけました。ひと歩きして、中華街の近くのビルの上層階にあるカフェに入り、一息つきつつ窓から眼下を眺めると、山下公園の木々の緑と港のブルーを背景に、マリンタワーと氷川丸がちょうど重なるように視界にはいってきました。その光景はいかにも港町横浜の象徴そのもので、昔から多くの人々に慣れ親しまれた風景です。ややもすると新鮮味に欠け関心の度合いもさほど高くない建造物なのですが、その日は、以前よりも意識して凝視しようとする自分がそこにおりました。
皆様ご存知のとおり、横浜の象徴であった双方は、共に先日営業を中止し、足を踏み入れることができなくなってしまいました。よって、私の意識の中に惜別の思いやら、はたして人が中に一人もいないのだろうかといった興味やらが、凝視する自分の心中に潜んでいたゆえ、期せずして意識上にはっきりとのぼってきたからなのでしょうか。
イタリアの女性作家サンドラ・ペトリニャーニが著した“VECCHI”(鈴木昭裕訳 1995年 文藝春秋)という本の中にひとり暮らしをする老女が語った言葉がつづられています。「老いるとは、感覚が研ぎ澄まされ、それによって、すべてのものがこれまでもったことのない意義をもつようになることです。しかし、それと同時に、すべてのものはその重要性をすっかり失い…ものごとの重要性が最小になり、ものごとの存在意義が最大になること…」と。
マリンタワーも氷川丸も人がそこに訪れることのないものとなった今、観光という意味の重要性は人々の心の中から薄れていくかもしれません。が、それゆえにその存在意義は、かつてないほどの量で、人々の心の中に最大化状態の存在をもって実存するのでしょう。
いずれ無くなってしまうという喪失感が現実化されたから…?いや、きっと今が一番輝いているからなのではないでしょうか。
ただ「ここに居るよ」というかけがいのないメッセージのみを持って。
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